「そこで諦めたら負け」。
高校生から大学生まで体育会系ハンドボール部に所属し、インカレで2回の優勝を誇る大学でこの精神論のもと、365 日、途中でやめられない練習に励んでいた猪田社長。
仲間が夜逃げしていくほどの厳しい練習の中、最終的に残った3 人の中の1 人になった ことを伺い、その精神力の高さに驚かされた。
起業までのストーリーは、スキーをするためにウィスラーを訪れたことに始まる。ちなみに当初のウィスラーは今と全然違い、リゾート開発されておらず値段もかなり安かった。
大学卒業後は、東京でサラリーマンとして働きながら、毎週末スキー場に足を運ぶ生活。貿易会社の営業部門で、約1年半働いていたが、やはりスキーをしたいと思い仕事を辞め、再度カナダを訪れた。それが起業に繋がる巡り合わせとなった。
1992年、ワーキングホリデーで渡航し、歯科技工所のドライバーとして働き、オフィス内の仕事をする。
カナダに滞在したいと考えていた猪田氏は、ワークビザ取得が難しいことから自ら会社を作ろうと決め、ヤマセトレーディングを設立。
設立当初は一からのスタートで、英語もろくにしゃべれないということもあり、苦労の連続。
まず、売るものを捜し、カナダ製と言われるメーカーをたどり、日本に向けて売らせて欲しいと回った。そして日本にエージェントがいない会社を見つけては、そこの商品を日本に持ち帰り、それを買ってくれそうな日本の会社を一つひとつ訪問し、営業していく地道な営業。
しかしながら、そこにはさらにまた大きな壁が立ちふさがることに。
日本の会社からは
と当時の苦労を振り返る。
日本で商品を売るにあたり、営業の電話を1,000 件しても10 件のアポイントを取れるかどうか。さらに、その10件の中には相手側の勘違いだったり、ひどい時はその場で追い返されることもあって、まともに話を聞いてもらえるのは1,000 件のうちたった1 件くらいだった、と猪田氏。
そんな苦労の中、2001 年、現在のQIC Enterprises を設立。貿易という仕事から、すでに大きい運送業者がいた中のサービスではあったが、2003 年に海外引っ越しサービスを開始。そしてその引越しの際に出る家具を引き取り、中古家具屋の経営も始めた。
2007年、バーナビーに日本食料品店がないことに気付き、すず屋を設立。
現在でも、人生のターニングポイントはほぼ毎日のようにある と、日々のビジネスの変化の大きさが伺えた。
色んなことが起こるが一見悪いことに見えても、結果的にはいいことかもしれない。惑わされず、来る者拒まず素直に受け入れてます。
泉田:これまでたくさんのショックや失敗があったとのことですが、どのように乗り越えてきたのですか?
泉田:英語はどのように勉強されていましたか?
泉田:QIC ではどのような人を採用されていますか?
泉田:これまで社会貢献されていますか?
走りながら考えろ!準備に時間をかけすぎず起業したいならすぐ始めろ、勉強は働きながらできる。
猪田 雅公 (いのだ まさあき)
1992 年 ワーキングホリデーでカナダ渡航
同年、ヤマセトレーディング設立
2001 年 QIC Enterprises を設立
2003 年 海外引っ越しサービスを開始
2007 年 バーナビーに日本食料品店『すず屋』 を設立
(インタビュー・文・泉田 普)