バンクーバーに来て、夢を見つけた人がいる。
彼らが追いかけるものとは何か。
どのようにしてその夢とめぐり逢ったのか。
彼らは今、この街の空気の中で何を感じているのだろうか。
彼ら一人ひとりが自らの中に秘めているストーリーを聞く。
人を幸せにできるコミュニケーションの 素晴らしさをみんなに伝えたい
以前はネガティブで人前に出るのがすごく苦手だった
何かを作るということが好きだった というみほさんは、高校時代からデザイン科で勉強し、当然のように大学でもデザインを専攻した。ところが入学して半年後、思うところあって別の美大を受験する。
「チャレンジで、ダメ元で受けてみた」多摩美術大学の映像演劇学科に、見事合格。
そこでは、映像や写真、ダンスなど多岐にわたる表現の分野を勉強できた。
もともと新体操を8 年間やっていて、体を動かすのが好きだったし、映像を作ってみたかった。
ダンスと映像の両方ができるなんて最高!
と、まさに水を得た魚のように新しい環境で勉強に励んだ。
けれど、やがてみほさんの中で、迷いが生じ始める。
将来、自分は何をやりたいんだろう? このままでいいんだろうか?
ダンス、写真、映像などでの作品作りを手がけたみほさんが、唯一経験していなかったのが『演技』だった。
「人前に出るのが苦手でした。恥ずかしかったし、自分に対してすごくネガティブで、人前に出てしゃべるなんて絶対無理、と思ってました。役者とは究極に反対のところにいたんです」。
何とかそこから抜け出したい…そう思いつつも、なかなかきっかけを掴むことができないでいたみほさんに転機が訪れたのは、大学3 年の時。思い悩んだ末に、学部の教授に相談を持ちかけた時のことだ。
「あのね、日本にはいい女優が足りないんだよね。君、やりなよ」
あまりの唐突さに呆然としながらも、 「はい、やります」と反射的に答えた みほさん。役者の道へと背中を押してくれたその教授こそ、日本を代表する劇作家の1人、清水邦夫氏だった。
「何か冒険しなきゃと思ってたけどなかなか…。で、清水先生がそう言ってくださったので『よし!きっかけもらった!!』と(笑)」。
常に「山のてっぺん」からのスタート
役者を目指して方向転換したみほさんは、初めて専攻した舞台の授業で、いきなり主役に抜擢される。
「初めての舞台は、自分に足りないものが多すぎて、究極に辛い経験でした。でも、これだけ足りないんだったら、これだけ頑張らなきゃ!って燃えるタイプなので、逆にそこからが楽しくて」と屈託なく笑うみほさん。
逆境をバネにして自分への糧にできる精神力の強さは、新体操で人一倍練習に練習を重ねて弱点を克服し、上位入賞を果たした経験の賜物だろう。「頑張れば何とかなるって信じてる部分があるんです」。
卒業と同時に芸能事務所に所属して、プロとしての仕事を始めたが、もっと役者の道を極めたい、と考えるようになったたみほさんは、一旦フリーランスとなった。
そして、映像の経験を積むために積極的に様々なジャンルに参加していった。
ある時、イギリス人監督の自主映画のオーディションを受けたみほさんは、努力の甲斐あって役を獲得。
だが喜びも束の間、貰った完成台本はすべてが英語で、愕然とする。
「ストーリーの意味がわからないどころか、何が書いてあるかもわからない んですよ。知らない単語が多すぎて」。
もちろん『逆境に燃えるタイプ』のみほさんは、そこから英語の猛勉強を開始する。
その後も、海外のプロジェクトに何度か関わる機会があり、日本のいわゆる「業界の常識」や仕事のやり方との違いに感銘を受ける。自分たちが手がける作品に対する情熱や何ごとにもオープンな姿勢は、満足感と作品に関わった一体感を得ることができた。
海外で役者の仕事をしてみたい
と決心したみほさんは、持ち前のチャレンジ精神と行動力で数ある困難を乗り越え、今、バンクーバーで夢への第一歩を踏み出した所だ。
みほさんの役者人生は、簡単で安全な所から高みを目指すのではなく、最初に自分を頂上に置いてから、持てる力を出し尽くして無事に着地するようなもの。
無謀かもしれないが、その分得られるものは遥かに大きいだろう。今後どんな活躍を見せてくれるか、とても楽しみだ。
インタビュー
海外で仕事をしたいと思った時、バンクーバーを選んだのはなぜですか?
アメリカだとやはりビザの問題があって。役者はボランティアでしかできないんですね。なので、カナダはワーホリがあるというのがまず1つ。そして、何よりハリウッドノースと言われる環境です。
周りからは、事務所に所属するのも役者の仕事をするのも無理だって言われ続けました。でも『無理』って言われて、ああそうかと諦めるのは嫌だったんです。無理ならとりあえずやろう、やってダメだったら諦めようと思って。
実際にバンクーバーに来てみてどうでしたか?
アジア人のネイティブスピーカーの多さに、競争率の高い所に来ちゃったなーと。
向こうは台本渡されてもすぐ理解して話せるのに比べて、私は訳して理解する時間が必要だし、アクセントもあるし。こんなんで受け入れてくれる事務所なんてあるのかなと思いました。
今では来てみて大正解だったと思ってます。
色々な人種がいるので、初めての人を受け入れやすい態勢がある。英語のレベルが低ければ相手に合わせて話すことに慣れているので、こちらは落ち着いて話せる。受け入れ側の許容がすごくありますね。
事務所は自分で探されたんですか?
誰も知り合いがいなかったので、とにかくネットで調べまくって、履歴書も独学で作って、どんどんアプローチしました。1 ヵ月くらいで決まりました。
英語が話せないなりに、できる仕事から始めましょうと言ってくれて。おかげでCM の仕事が取れた んです。アメリカのGeneral Electric Company のCMで、滅多にない大きな仕事だったので、事務所も喜んでくれました。
役者の仕事をする上で、何か心がけていることはありますか?
自分の中で何をするにもテーマにしているのが、コミュニケーションが大切ということなんです。
人に幸せな影響を与えたり、世界を平和にすることができるツールだと。
役者も、英語も、それに繋がるものだと思っています。