夢はブロードウェイの舞台!
TUTS「CINDERELLA」の日本人キャスト Marina Hagaさん

夢はブロードウェイの舞台!
TUTS「CINDERELLA」の日本人キャスト Marina Hagaさんにインタビュー

中学卒業後、バンクーバーに高校留学で来たMarinaさん。7歳から地元・宮崎のミュージカル劇団に入団し、舞台経験を積んできた。夢は、ミュージカル俳優としてブロードウェイの舞台に立つこと。
バンクーバーに来てから3年、Marinaさんは幼い頃から抱いていた夢の実現に向けて、一直線に頑張って来た。バンクーバーに来たばかりの2015年にTUTSで上演された「Hairspray」を見て以来、TUTSに参加したいと思っていたMarinaさんは、3年目の今年、ついに念願のTUTSデビューを果たした。

TUTSデビューおめでとうございます! オーディションは大変でしたか?

Marina(以下M):去年、初めて受けたTUTSのオーディションでは、あまり英語ができなかったんです。でもディレクターの方が「英語が喋れないのに勇気を持って来てくれてありがとう」と言ってくれて、二次審査まで行ったのですが、最終的に落ちてしまいました。
「去年、二次まで通ったなら行けるかも!」と思って、今年のTUTSに再チャレンジして、合格できました。

-高校留学でバンクーバーを選んだ理由は?

M:地元の宮崎で、7歳からずっとミュージカル劇団に所属していたのですが、中学生になった頃にアメリカから来た高校生の劇団と一緒に公演をする機会があって、彼らのパフォーマンスにとても感銘を受けたんです。ミュージカルの本場、アメリカで挑戦したい!と思うようになりました。そのためにはまず英語を上達させなければと思って、高校留学を決めました。バンクーバーを選んだのは、中学の英語の先生が勧めてくれたのと、同行する母のビザが取りやすかった、という点です。

-日本では、特別に英語の勉強はしていたのですか?

M:学校の授業だけです。だから3年前に来た時には、全然喋れませんでした。日本の教育で文法は身についていたけど、脳内に単語があっても一言も出てこない。リスニングもできないし、高校でも授業で何を言っているのか全く分からない状態でした。

バンクーバーに来て3ヶ月ぐらい経った頃、たまたまYouth Theatreの劇団のオーディションを受けてみたら、まさかの合格で…。私以外全員英語ネイティブで容赦なく話しかけてくるし、脚本も自分たちで書くというお芝居なのに、英語ができなくて全然書けないから自分のセリフが1つもない状態で、毎週「もう無理!」と泣きながらやっていました。

それでも、やめる、という選択肢はまったくなかった。いったん始めたら、最後までやらないと、と思っていました。周りの皆も英語をゆっくり話してくれたり、セリフ作りを手伝ってくれたりと、すごくサポートしてくれて乗り切ることができました。
この経験でかなり鍛えられて、精神的にも強くなったし、英語も怖がらずに喋れるようになりました。

-日本の舞台経験との違いはありましたか?

日本ではミュージカルの団体に入ると、そこで『学ぶ』という体制があったので、そこで全部習うことができます。でも、こちらでは、オーディションで集まったキャストが1つの舞台を作っていくので、所属という感覚がありません。

ミュージカルを総合的に学べる場所も特にないので、ダンスはHarbour Dance Centreでバレエやヒップホップなどのクラスを取って練習し、歌はオーディションの前に個人レッスンの先生に習う、という感じで、自分でのペースで続けていました。

オーディションに受かってショーに参加し、一気にプロの人達の間に入ることで、プロフェッショナルってこう動くのか、こういう風にショーを作っていくんだ、というプロセスを現場で間近に学ぶことができました。

-高校を卒業されて、今後のご予定は?

来年から、American Musical Dramatic Academy(AMDA)のミュージカルシアターのコースに進む予定です。ブロードウェイを目指す人達が世界中から集ってくる学校で、ずっと憧れてきたので、とても楽しみです!

バンクーバーで3年間の高校生活を送るかたわら、歌やダンスのレッスンを続け、現場での経験も積んできたMarinaさん。歌も、ダンスのスキルがあっても、英語ができないからショーに出られないという悔しい思いを何度も味わいながらも、ただ凹んだりせず、ひたすら夢に向かって努力を重ねてきた。TUTSの舞台で見せる輝くような笑顔は、バンクーバー生活の集大成と言えるだろう。
次の舞台はアメリカ。Marinaさんは、幼い頃からの夢に向かって着実な一歩を踏み出す。


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