引きこもりのアラサー女性が、ボクシングをきっかけに、恋と自立に目覚めていく姿を描いた『百円の恋』は、バンクーバー国際映画祭でも好評を博した。第27回東京国際映画祭の日本映画スプラッシュ部門作品賞をはじめ、国内外で数々の映画賞を受賞し、さらに、第88回アカデミー外国語映画賞の日本代表作品にも選ばれるという快挙を果たした同作。
「ここまで大きく独り歩きしてくれるとは思ってもいなかった」と語る武 正晴(たけ まさはる)監督に、『百円の恋』の撮影エピソードや、映画作りへの思いなどをたっぷりと伺った。
(記事には映画のシーンや結末に触れる内容が含まれています)
「映画監督」は、周りがさせてくれるもの
VIFFでの第1回目の上映(10月2日)は、非常に好評な感触でした。上映後のQ&Aで、カナダ人観客の方からの質問をたくさん受けられて、文化の違いとかメンタリティの違いなどを感じることはありましたか?
武監督:あまりないですね。僕は、作っている時から、色々な意見が出るだろうなとは思っていました。
特に、ラストの解釈とボクシングにおける勝敗、あとはレイプのシーンとか、そういう部分に関しては外国の方のほうが厳しい意見を言ってくれるというのはあるんですが、そこはかならずどの国でも出てくる反応で。
そこにポイントを置いているので、そこにちゃんとみんなが乗っかるというのが、逆に面白いなと思います。
映画って、それを見て何を思うかは見た人が勝手に決めることなんですよね。だから、そこは良かったと思います。ちゃんと、そこに「引っかかる」ようにシーンを作っているので。
中には、見ていて、『ああ、思ったようにはならなかったな』という気持ちになった人もいらっしゃるでしょうし、このままでいいという人もいらっしゃると思いますが、それは、映画を見た時の、当然普通の感覚で。それがちゃんと出たのが良かったなと思います。
バンクーバーでの観客の反応を見ていかがでしたか?
武監督:見ているときのリアクションは、日本人以上に、外国の方は明確にしてくれるので、「ここで笑いが出るのか!」とか「ここはちゃんと笑ってくれたな」という感じで。
映画の見方がはっきりしていますね。それはすごく参考になります。
一般の観客の方と一緒に、ご自分の映画を見ることはよくあるんですか?
武監督:僕はだいたい一緒に映画を見て、お客さんのリアクションとかを見ながら、次の作品の参考にしたり、技術的なことも含めて、参考にさせてもらってます。
多くの監督の元で、現場を経験されていますが、この業界を志したきっかけは何かあったのですか?
武監督:実は、映画監督になろうと思ったことはなかったんです。
ただ、何か映画に関わる仕事をしたいな、というのは、小学生くらいのころに漠然とありました。よく親に映画館に連れて行ってもらっていて、映画をずっと見ながら一生を終えるならそんな楽な仕事につきたいなと(笑)という、不届きなものの考え方をしていました。映画を見ていて、生活できたらいいなと、甘いことを考えていた少年時代でした。
東京に出てきて、映画に関わるアルバイトなどをやっているうちに、知らずと現場の方に引っ張られて。そのうち助監督をやるようになって、監督という人たちを目の前で見るようになって、余計、監督などというものにはなれないなあと、思ったことはありました。
監督になりたい、というより、監督になれないなあ、と思ったのが率直な思いですね。
それが、反対の方向に向かったわけですね。
武監督:最初の1年目ぐらいの時についた、ある監督から言われた言葉があって。
監督というのは、自分がやりたいと思ってなれるものじゃなくて、周りがさせてくれるものなんだ、と言ってくれたことをよく覚えています。
ある日、人にやれって言われる日が来るんだと。そのために色々なことを積み重ねていくんだということを言われました。
それはすごく実感として感じます。
『百円の恋』撮影エピソード
『百円の恋』の撮影期間は2週間ぐらいと伺っていますが、映画を1本撮るというのは、どのぐらいの時間がかかるものなんでしょうか?
武監督:僕が始めた頃は、2ヵ月に一本ぐらいのペースでしたが、今は、デジタルになったのもあって3週間から1ヵ月とかですね。フィルムは時間がかかりますから。僕らが助手でやっていた20年前くらいは、2ヵ月に1本というのが普通の感覚ですね。
今回は短いですよね。最近は、準備期間のほうが長い。撮影が短いと寂しいなと思うこともあります。2週間というと、スタッフがようやく慣れてくる頃なんです。その中で終わらなきゃならないっていうのがね。
監督たちにとっては、作品を作るということもあるんでしょうが、若いスタッフにとって、1ヵ月でも2ヵ月でも、作品に向き合うっていうことは、すごく成長の場になるんです。
自分が何もわからず、現場についた時は、やはりその2ヵ月、3ヵ月がものすごい貴重な時間として、次の作品で大きく成長を遂げてる自分に気づいたりもしましたから。
撮影期間が短かった理由は?
武監督:圧倒的に予算です。俳優さんは全部時間あけてくれて、時間は取れるんですけど、それを補う予算がないと…。
今回に限っては、俳優さんやスタッフには申し訳なかったのですが、足立さんが書いたシナリオをなんとか作品にしたいというのがあって、予算やスケジュールの短さ、という障害があっても、何があっても撮ろう、と思っていたので、安藤サクラさんにはすごく迷惑をかけたなという気がします。
主演のお2人とも、体を張った演技でした。肉体的にも極限の状況の2人がいた現場の雰囲気は、どうだったのでしょうか?
武監督:安藤さんも、新井さんも、食事を含めて体のコントロールをしなければならなくて、非常に、体力的にも困難でした。夏でしたし。僕らは予算の都合で2週間という短いスケジュールになっていますが、俳優さんにとっては、あまり過酷な時間の使い方をすると体力がもたない。
お腹を空かした2人がいると、なかなかこっちも目の前でお弁当を広げて食べるわけにもいかないなと。だんだん、2人の食事が減量用の食事になっていくんです。それが、微笑ましくもあり、こっちとしては、なんか辛かったですね。
ただ、安藤さん、新井さんにとって良かったのは、1人ではなくて、仲間がいるっていうことですね。同じ立場の人がいる、というのは、とても救いになったんじゃないかと。
映画の中で、安藤さん、新井さん、坂田さんが3人で餃子を食べるシーンは、ワンカットで撮られていますが、最初からそのつもりで撮られたのですか?
武監督:あそこは、もう最初から、ワンシーン、ワンカットで行ってやろうと。この3人だったらできるだろうと思って。難しいことやってますよね、あの3人は。
あの撮影の時は、新井さんが、ボクサーの体のために3ヵ月間、ビールもやめて減量していたのを、解禁する日だったんです。3ヵ月ぶりに本物のビールを飲む、餃子を食うわけですから、それを撮りたかった。その時に、彼がどう変化していくか、の面白みと、その緊張感の中で、サクラさんと坂田さんがどう反応するかっていうのもね。
テストもやらなかったです。一発本番で。
それをやってしまうのが、俳優のすごいところですよね。失敗は許されないので、スタッフは大変でしたが。
僕も、あのシーンはすごく好きで、上手く行ったなと思っています。
なかなか、あんなことできないんですよ。それを、当たり前のようにやってくれてるんで、すごいなと思いました。ものを食べながら、色んなことをやりながら、全部、頭からケツまでワンカットでやるというのは、難しいですよ。
安藤さんと新井くん、あの2人が優れてるのは、細かいリアクションを、小さく、小さくやるんですよね。決して大きくやらない、だから見てる人が微妙に反応するというか。
最後のシーンで、2人が手を繋いで行くところで、微妙に一子が拒否している、とおっしゃっていましたね。(※10月2日の上映後のQ&Aでの武監督の発言)
武監督:あれが安藤サクラだと思いました。やってた新井くんが一番思ったんじゃないですかね、来たぞ!と思ったんじゃないですか。
シナリオには、「手を繋いでいく」って書いてあるのに、拒否するわけですよね。一子をずっと演じてきた人にしかできない感情というか。
あれはしめたもんでしたね。あれが出たのはすごいなと思って。感情とは別に、肉体がちゃんと演じる、ということは素晴らしいなと。
あそこで、新井くんがアドリブで、シナリオに書いてなかった「一子」っていう呼びかけを入れたのが、その反応になったんですね。台本では、「一子、メシでも行こうか」じゃなくて、「メシでも食いに行くか」っていうセリフのあたまに、新井くんがアドリブで「一子」って入れたんです。
だから、彼女はムカついたんです。なんだよ、って。そういう反応がね。あれもテストなしの一発本番ですから、ずっとやってきた人にしかできないこと。
ああいう緊張感を生み出すには、やはり優れた俳優がいないとできないし、その俳優を信じるということも必要です。それと、あとは、そこをちゃんとこなすという優れたスタッフがいないと。
この人たちだったらできるだろう、というのと、自分も面白がりたいので、そういうことができないかなと。それがいい方に行った。すごい2人ですよね。
いいものを見せてもらったなと思います。
映画作りはチャレンジの連続
今回の映画は、『チャレンジする』というものが大事なテーマになっていましたが、前の『イン・ザ・ヒーロー』でも、やはりチャレンジというテーマが見えてきますね。
武監督:最初は、特にそうは考えていなくて、振り返るとそうなっているというのがありますが(笑)、ただ、そのとおりだなと思います。
今の自分も含めてなんですが、『チャレンジする』ということ、たとえば、映画作り自身もチャレンジじゃないですか。今回のフィルム・フェスティバルでも、いろんな映画が来てますが、色んな国の作家たち、俳優たちがみんなチャレンジしている、それを見るといつも感動するんです。
映画祭とかに来て、全然知らない映画とかを見ると、『みんなすごいチャレンジしてるな、負けてらんねえな』と思うんですよ。そういう中で、『百円の恋』なんかも、やらなきゃいけないんだなという気持ちになる。
『マッドマックス』なんかでもね、みんなで砂漠に行って、すごいことやってるじゃないですか、楽しそうなことやってるじゃないですか。
ああいうのを見たときに、自分たちも、自分たちの中でやれるチャレンジはまだあるんじゃないかと。
だから、僕の映画のテーマ、というより、映画自身がそういう要素を持っているから、俳優さんたちもそうだし。映画作りが、チャレンジなんじゃないかという気が最近してきていますね。
上映後、特に女性の観客の方からの応援や感動の言葉などが、ずいぶんありましたね。
武監督:やはり同じ女性がやっているというのもあって、共感する部分があったのかもしれませんね。
僕は今回、9本目の映画になるんですが、ずっと男の映画ばかり撮ってきたんです。全部男なんで、とにかく女を撮りたくて。
実は、『女・最強論』というのを、ずっと自分で言っていたのがあるんです。
地球上で、女性が一番強いのではないか、という、自分の個人的な思いがあって、それを実現できるようなシナリオを足立さんにお願いしていたんです。
女が何かする話、戦う、逃げる、脱獄する、など、すべて、女が何かをする、というテーマでシナリオを作れないか、というところで、5年前に足立さんが持ってきたのが、『百円の恋』だったんです。
監督は、脚本段階から関わっていたということですが、共同執筆だったんですか?
武監督:執筆は足立さんですね。僕は、こういうのが見たい、とか、女がこういうふうにする話なんだ、とか、プロセスとかプロットとかあらすじとかを言って、足立さんが書いてくる、という感じです。
『百円の恋』の前に、いろんな女の人の話を書いては捨てて、捨てて拾って、というのを繰り返してました。その中で、彼がもともと持っていたものを、こっちからやってみて、と言った時に、好き勝手に書いてきたのが『百円の恋』だった。すごいエネルギーを感じました。
オリジナルの脚本は、映画化するのは難しいのですか。
武監督:そうですね、世界中の作家が苦労していること、なんじゃないかと思うんです。オリジナリティの強さ、というか…。
たとえば、今回で言うと、『GONIN サーガ』。あれも、石井さんが作り上げた、作家が作り上げた独自の世界ですから。ああいうオリジナリティのものって「強い」んですよね。
それを、信じたい。
1人の人間が生み出す、欲望というか、願望、というか、妄想というか、そういうものを映像にしていった時に、どういうものになるのかっていう。
オリジナル作品は、世界的に難しいかどうかはわかりませんが、少なくとも日本では難しい状況にある。そういうところにも、なにか風穴を開けたいなという気持ちがあります。
ドン・キホーテじゃないですけど、何かできないかなということを、5年前にちょっと思って。今回、ちょっとでも、そこに向かっていけたんじゃないかなと。
足立さんのシナリオは、(昔は)読まれなかったんですけど、今は、人が読んでくれるようになった。それは、『百円の恋』のおかげだと思うんですよね。逆に、オリジナルで何か書いてくれと、足立さんに依頼が来たりもするようになった。そこが何かちょっと変わったのかなと思います。やっぱりそこもチャレンジですよね。
何か難しいことをやるほうが、楽しくない?みたいな。しんどいですけど、でも、それが動いた時に、力になる、というか、自信にもなるし。その意義はあると思います。
今回、アカデミー外国語映画賞の候補作としてノミネートされましたね。
武監督:『百円の恋』というのが、まさかここまで大きく独り歩きしてくれるとは、思ってもいませんでした。
来年の3月まで、どこまで行けるかわかりませんけど、1人でも多くの人に見てもらうためにも、そういう賞へのモチベーションがあってもいいのかなと。作品にとってもいいことなんで。ぜひ、応援お願いします(笑)。
人に見てもらうのが映画ですから。
公開時期だけに見てもらうというのではなく、何十年にもわたって繰り返し見てもらうのが自分たちの目標というか。そうなるためには、『賞』という要素があってもいいと思う。作品の力だと思ってるんで、どこまで行けるかな、というワクワク感というのもあります。
どんな時でもユーモアを忘れたくない
今後の作品のご予定は?
武監督:『百円の恋』自体が5年前に書かれたシナリオで、それよりも前に、足立さんと一緒に書いてるシナリオがたくさんあるんです。それをやりたくて仕方ない(笑)。
シナリオだけでも、4、5本あって、いつでも撮れる状態です。動いてはいるんですけど、やっぱりお金が集まらないんで。
でも、『百円の恋』も含めて、足立さんの作品をなんとか世にまた出したいなと思っています。
何かオリジナルのものを、バカバカしいのも含めて、やっていきたいです。
基本、コメディをやっていきたいんですね。『百円の恋』も、完全にコメディのつもりで作っているんで。
コメディって難しいんです。人を笑わせてなんぼだという、一番むずかしいことに挑戦したい。
人を笑わせることが、世の中で一番むずかしいことだと思ってるんで。
人によって、笑いのツボ、というものも違いますしね。
武監督:普段、厳しい日常の中で、なかなか笑えないじゃないですか。それを、1時間半、2時間の間だけでも、それを忘れて笑ってもらいたい。 「面白くないな」と思っている人は、なかなか笑えないけど、それをなんとか笑わせてやるぞ、と。それは、すごい難しいことですけどね。ユーモアを忘れたくないというか、どんなに厳しい状況においても、人がクスッと笑えるような世の中であってほしい。
映画にとって、一番ユーモアが必要だと思うんです。
それは、僕自身の指標ですけどね。クソ真面目な時でも、悲しい時でも、笑っちゃいけない時でも、クスッと笑いたいユーモア精神。それが、一番、人間の強い武器になるんじゃないか。ユーモアが、何か、本当にものを動かす、という時があるんじゃないかと思うんです。
映画というのが、そういう要素をすごく持っている。
深刻なことを、笑い飛ばして、逆に否定したりとか、カウンターカルチャーとして、大きなものを動かす力にする、とか。
その武器として、ユーモアが一番大事だなと思います。
バンクーバーは、ハリウッドノースと呼ばれる映画産業が盛んな街で、映画専門学校などもあって、その業界を目指している方たちがたくさんいます。監督から、そういう人たちにメッセージをいただけますか?
武監督:僕は学校とかも行ってないですし、成り行きでこういうことをやっているだけなんですが…。
まず、映画を志してやろうと思ったことが、才能だと思うんです。
普通思いませんよ(笑)、カメラマンになろう、とか、なかなか普通の人は思いませんから。
映画をやろう、って思ったってことが、まず素晴らしいことなので。あとはどう続けるかですよね。一番最初に思ったこと、初心を貫く、ということ。
多分、最初に「やろう」と思ってくれた自分自身が、すごくいい才能を持っているわけだから、それを活かすも殺すも自分次第。
ずっとやってほしいな、と思いますね。そのためには、色々と学ばなければならないこともあるでしょうし、何か苦労しなければならないこともあるでしょう。映画の撮影っていうのは、いいことばかりじゃなくて、苦しいことのほうがほとんどなので。
でも、やっぱり映画が出来上がって、お客さんが、面白かったとか、良かったとか、言ってくれる。
その一言で、また次があったりするので。
そういうところに向かって、何かチャレンジして欲しいと思いますね。