現状に満足してしまってはいけない。上には上がいることを知り、常に勉強するという姿勢が大切だと思っています。
バンクーバー・ガスタウンの一等地に昨年オープンした和食レストラン『Shirakawa by ItohDining』。オーナーシェフを務める本橋さん は、ビクトリアで日本料理店を営む父のもとで育ち、幼少の頃からこの世界に親しんできた。
人生の転機は18 歳の時。本気で料理の道に進みたいなら、日本へ行って修行をしてこい、という父の勧めで、単身、カナダを離れて日本へ渡った。
紹介もコネもない土地で、面接試験を受けるのも初めての経験だった。採用されたのは、東京・築地にある寿司屋。そこから、料理人としての第一歩を踏み出すことになった。
まずは調理場ではなく、洗い場に入り、下積みの生活が始まった。最初の数年は包丁も握らせてもらえないという厳しい世界。先輩・後輩という上下関係を尊重する、カナダにはない独特の空気に慣れるまで、緊張の連続だった。
「先輩をどれだけ尊敬できるか、そして根性があるかを試すことこそが、修行だった」
と振り返る本橋さん。現場で見習いをしながら、日本の料理界のレベルは北米のものとは比べ物にならないということを肌で感じた。 その後、いったんカナダへ戻り、在籍中だった大学を卒業後、再び日本へ。
この時は“寿司”という枠を超えて、広く“日本食”を学ぼうと、大阪・岸和田にある小さな割烹料理屋に入った。
料理の作り方から盛り付け方まで、料理長や先輩からの直接の指導を受け、毎日が実践だった。
ここでの数年間でさらに料理のセンスと腕を磨き、カナダに戻った本橋さんは、バンクーバーにある居酒屋に就職することとなった。
が、間もなくして日本にある同じ系列の店のほうへ派遣されることが決まり、東京・渋谷にある居酒屋の厨房で働くことになった。客を楽しませ、酒を飲んでもらうことがメインの居酒屋。これまで修行を積んできた寿司屋や料亭とはまた違った趣旨での、料理の提供が求められた。
当時、客と話すことが苦手だった本橋さんは、それまでのシャイだった自分を捨てて、カウンター越しに客を楽しく盛り上げるという術を学び、自らも居酒屋で働くことの楽しさを実感し、ここで新しい境地を切り開いたのである。
そんな本橋さんがバンクーバーで自身の店をオープンするきっかけとなる運命的な出会いを果たすのはそれから数年後。
日本を訪れていた友人が美味しい神戸牛を食べたいというので、知り合いの紹介で訪れた京都の高級鉄板焼の店で、オーナーの伊藤氏と知り合い、意気投合。
カナダに出店したいというお互いの願望が折り合って話は着々と進み、ついに2014 年『Shirakawa by Itoh Dining』が誕生したのである。
18 歳で単身海を渡り、厳しい修行にも耐えて夢をつかんだ本橋さん。
「ここで満足してしまってはダメ。いつも気を張って、常に勉強です」
と、あくまで謙虚だ。伝統を重んじながらも、新しいことに果敢に挑戦する若き料理人・本橋卓也さんの、今後の活躍に大いに期待したい。
5 月で開店1 周年を迎えますが、振り返ってみて、どのような心境ですか?
本橋:今やっと、最初の第一歩を踏み出したという気持ちです。
おかげさまで今年、1年目でDine OutVancouver(毎年200 店以上のレストランが参加する、食の祭典)の38 ドルのジャンルで優勝させていただきました。
また、『Vancouver Magazine』のニューレストランのランキングでも上位に入れていただけることが決定したとのことで、嬉しく、励みになっています。
今後、さらにどのようにお店を盛り上げていきたいですか?
本橋:ガスタウンという土地柄、バーが人気なので、さらに充実させていきたいです。自分も今ワインについて勉強中です。また、世界でブームになりつつある、日本産のウィスキーにも注目しています。今後も、お客様の意見を大切にしながら、100 人中100 人全員を満足させることはできなくても、それに限りなく近づけるように、スタッフみんなで力を合わせて、努力していきたいですね。
座右の銘
人生は諦めず前進あるのみ
本橋 卓也 (もとはし たくや)
1981 年
カナダ・ビクトリアに生まれる
1999 年
料理の修業のため、日本へ渡る
2014 年
バンクーバー・ガスタウンに 『Shirakawa by Itoh Dining』を オープン